神子畑選鉱場 (明延鉱山)

明延(あけのべ)鉱山から産出された鉱石を選鉱する場所とである神子畑選鉱場跡(みこばた)、 巨大なコンクリート遺構が残されていました。
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(以下は神戸観光Webに記載の内容です)
国内有数の巨大産業遺構である神子畑選鉱場は、養父市大屋町の明延(あけのべ)鉱山から産出される鉱石を選鉱する場所として栄えていました。神子畑選鉱場は、1919年(大正8年)年に建設され、山の斜面を利用した施設は22の階層があり、幅110m、長さ170m、高低差75mの建物は東洋一と言われていましたが、2004年に撤去され、今は基層だけが残っています。神子畑では15世紀ごろ神子畑鉱山として金を採掘する鉱山でしたが、近くの生野鉱山の方が採掘しやすかったため、長く休鉱状態が続いていました。1878年(明治11年)になって有望な銀鉱脈が再発見され、翌年から採鉱が始まり、当時は加盛山と呼ばれ、生野鉱山の支山として稼動していました。明治後期、神子畑鉱山には約3000人の作業員がいたとされます。しかし、明治末には次第に産出量が減少してきたため、、生野鉱山が三菱合資会社に払い下げられた後の1917年(大正6年)に閉山しました。 その2年後、神子畑鉱山は選鉱場に変更され、明延鉱山の鉱石をスズ、銅、亜鉛などに分け、全国の製錬所に送っていましたが、1987年明延鉱山閉山とともに操業停止しました。神子畑選鉱場も明延鉱山の閉山に伴いその役目を終え、廃墟と化していましたが、2004年に神子畑選鉱場が取り壊されました。
最初に巨大な円盤状のものが見えます。これは何か? Webで調べるとシックナーと云うらしい。
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 シックナー【thickener】 沈降濃縮装置ともいう。液体中に分散混合している少量の固体粒子を重力の作用で沈降させ高濃度のスラッジ(泥漿)として液体から分離する方法をシックニング(沈降濃縮)といい,これを連続的に行う工業的装置をシックナーという。 下記のURLに神子畑選鉱場と同様の写真が掲載されていました。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
神子畑選鉱場跡の全景です
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神戸観光Webに掲載されている写真です
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Wikipediaに掲載されていた神子畑選鉱所,明延鉱業全景、 建物が残されている時代のものです。2004年まで残っていたとのこと、近くは良く通っていたのに訪れていなかったことが残念です。
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インクライン跡
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軌道跡
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神子畑小学校跡
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神社跡
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ムーセ旧居 明治初頭、生野鉱山で働く外国人技術者のために、生野に宿舎(個人住宅)が5棟建設された。そのうち、ムーセ旧居はフランス人技師ムーセの住居となっていた二番館である。ムーセが日本を離れた後、鉱山が発見された神子畑に移築され、事務所兼診療所として利用された。 (Wikipedia記載の内容です)
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明延と同じ様に一円電車が展示されていました
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生野へ戻る途中に、神子畑鋳鉄橋が残されています。 
神子畑鋳鉄橋・日本最古の鋳鉄橋 (神戸観光Webに記載の内容です) :明治のはじめに神子畑鉱山から生野の精錬所への鉱石運搬のための道路が必要となり、神子畑~生野間の16.2kmに馬車道(鉱山道路・鉱石の道)が建設され、多くの鋳鉄橋がかけられました。 神子畑鋳鉄橋はそのうちの一つで、明治18年、馬車道(鉱山道路・鉱石の道)が神子畑川を横切るときに架けられました。神子畑~生野間の馬車道(鉱山道路・鉱石の道)には、当時それぞれ構造の異なる5つの橋が架けられていましたが、現存する鋳鉄橋は、神子畑鋳鉄橋(橋長16mの一連アーチ橋)と羽渕鋳鉄橋(橋長18mの二連アーチ橋)の2つだけとなり、ともに美しい洋式橋の姿を残しています。神子畑鋳鉄橋は、現存する鋳鉄橋としては羽淵鋳鉄橋とともに最古のもので、日本に現存する鉄橋としては3番目に古いとされるが、1番目の明治6年に架けられた大阪の心斎橋は錬鉄製であり、2番目の明治11年に架けられた東京の弾正橋は錬鋳混用であるため、神子畑鋳鉄橋は全鋳鉄製の橋としては日本最古の橋といえます。
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『鉱石の道』の説明板
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